2009年12月20日

ワルシャワを歩く 7/16@ワルシャワ2日目

僕らはよく寝ました。昨晩のお寿司とバルト三国の移動の疲れがちょっと出たみたい。

お昼頃やっと動き出して、中央駅へ。ワルシャワはさすがにバルト三国より都会です。ビルも多いし、高い!
中央駅では明日のクラコフ行き列車チケットを買うんです。
なのに、チケット購入窓口は行列しています。
しかも、見ていると外国人旅行者はかなり手間取っていたり、チケットを買えない様子。英語が通じないかな??とりあえず、駅構内にあるパソコン端末で調べる。使いづらいPCでわかったのは、
これまた使いづらいけど、2人して30分ぐらいかかって、クラコフまで急行だと1人100ズロータ(3000円)。各駅停車だと50ズロータ(1500円)と判明。

ヒマで節約したい僕らはもちろん各駅停車。

ツーリストインフォメーションで英語が通じないらしい窓口でどうやってチケットを買うのか相談すると、行列している窓口ではなくて、構内の反対側にあるオレンジのちょっと高級そうな窓口を紹介される。こっちは英語対応してるんだって!

順番待ちの番号札を引かされる。503番。
今は80番。。。あとどれぐらい待つんだい??

噂には聞いていたけど旧社会主義の国民は行列が好きらしい。我慢強いっていうかヒマっていうか。。。
お客さんが困ってるから何とかしようって発想はないらしい。
課長クラスを全員日本に研修に出せばいいのに。。。「お客様は神様です!」って日本だけなのかな?

まあ、とにかく1時間ぐらいまって無事にチケットを入手。もう、2時ぐらいだよ。。。

ちょっとくたびれて中央駅を出ると空は晴れていました。ちょっと気持ちいい!ツイてる。
ポーランドの人はちょっと小柄で骨太な感じ。あごもえらが張ってる。
いつも顔をしかめてるけど、話すととても親切。(にこやかではない)
バルト三国よりも都会だけど、着てる服はなんとなく垢抜けない。やっぱりちょっと田舎らしい。

しかし、北欧・バルト三国に比べるとめっちゃ暑い。ソフトクリームをやたらと売っています。
ごついポーランド男子もソフトクリーム屋さんに群がっています。
大きい公園を通ってぶらぶら歩いていくと、ワルシャワの旧市街地へ。この旧市街地、世界遺産でとても街が整備されて美しいです。結婚式の撮影もしていました。おめでとう!
この街は第二次世界大戦時にドイツに占領されました。ドイツとの攻防戦、ワルシャワ蜂起、さらにはドイツの撤退時にはワルシャワの街は完全に破壊されました。

ところが、これを地図や住民の記憶を頼りに復旧したそうです。なんと「街の細部、ヒビまで再現した」そうです。
ヒビまで復旧しなくてもいいんじゃないかな。水が漏ってきても困るしさ。
確かに街自体はとっても美しいです。
また歩いていると掲示板がありました。
旧ユダヤ人エリア、ゲットーがあった場所に辿り着きました。
ゲットーってナチスが第2次大戦中にユダヤ人を閉じ込めたところです。ナチスが占領した大都市に作られ各地のユダヤ人が送り込まれました。
ワルシャワのゲットーは数あるゲットーの中でも最大だったそうです。
壁で囲われたエリアで、壁のあった場所も示されていました。

第2次大戦の後、しばらくしてベルリンに壁が作られ、89年までありました。「歴史は繰り返すんだ。」としみじみ感じます。同時にポーランドは近代・現代に掛けて大変だったんだなと。
第1次大戦後に独立して、その後ドイツ・ソ連に分割、占領され、独立したらソ連の衛星国にされ。ソ連崩壊後の1989年から、今で20年。
バルト三国と一緒でがらっと社会が変わったんだろうな。
エストニアほどじゃないけど、物乞いがいる。しつこくないけど。

現代でもものすごい数の物乞いがいるインドとつい比べてしまいます。

いろいろ考えながら、買い物を。
ゆきはサンダルを探してるけど、なかなか見つからない。
reservedっていうユニクロ的なお店でけいじはベルト、パンツを購入!ゆきもかわいい服を買ってます。
いよいよ僕らが日本から持ってきた服は限界を迎えているようです。いろいろ擦り切れて着れなくなってきました。。。

晩御飯はお店を見つけ損なって、ケバブを路上ですわり食い。
ポーランドでは9時には日没。北欧・バルト三国では11時ぐらいが日没だった。少しずつだけど南に来てるのだ。

ホテルに戻るとなんと!ベッドメイキングとシーツ交換が!
普通のホテルはそうなんだけど、そんなことしてくれる高いホテルに泊まってなかったんでびっくり。
そして、部屋の中をものすごく汚いままで出てきたのでショック!恥ずかしい。。。

おまけ。
ポーランドの缶ビール。腕を組んで楽しそうに踊っています!

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