ネパール人ガイド(ゆきの友達の旦那さんのハッチーにどことなく似てる)が迎えに来てくれ、
タメルの端っこのバスの停まっているポイントまで連れてきてくれます。
あっちからこっちから参加者が連れてこられ、総勢20名を乗せたバスは
結局6時半頃カトマンドゥを出発。
いろんな人がいるけど全員欧米系でアジア人は我々だけの様子。
国籍::老夫婦2組。イングランド人(マックス)、アメリカ人(イアン、NY女子2名)、
オーストリア人(トマス)、ドイツ人(おばちゃん)、NZ(おばあちゃん3人組)、
オーストラリア(夫婦1組)、カナダ(女子)、フィンランド(女性コンビ)、アメリカスペインカップル
10:30途中見晴らしのいいホテルのレストランで朝食。
ハッチー似のガイド君から今後の行程の説明があり、中国ビザが配られました。
普通、ビザはパスポートのページにシールとかで貼られるのが多いですが
今回はグループビザのためか紙切れのみ。
中国への入国審査はとても厳しく、荷物からパスポートから全部ひっくり返してチェックされ、
ダライラマの写真や本などを持っていると入国できないとのこと。
そもそもネパール中国間の国境は先週4月の11日に開いたばかり。
というのも1959年3月の大暴動でダライラマ14世がインドに亡命してちょうど50年ということで、
今年の3月の間は中国政府が国境を閉じていたのです。うーん、ドキドキします。
ガイド君は何回も入国を拒否される可能性を確認。荷物を調べろって念押ししてきます。
14:30そうこうしつつ無事ネパール側国境のコダリという町に到着。バスから降ります。
切り立った山の斜面にあり、谷底の川が国境らしく、対岸はもう中国とのこと。
小さな事務所でのんびり出国手続きをしてもらい、えっちらおっちら5分ほど山を登ってゆくと
立派な金属製の橋が架かっています。(写真はありません、中国が禁止しているので。)
橋の中ほどには早速中国の軍人が!ひょえー、こわいよ~。
努めて笑顔を絶やさず「ニーハオ」とか言ってみます。笑
ビザとパスポートをチェックされてやっと橋を渡り終えました。ふぅ。
橋を渡りきると、右手にネパールのイミグレーションとは桁違いに大きくて近代的なイミグレーションオフィスのビルがありました。
まずは入国管理官にパスポートとビザを確認され、入国印がビザのペーパーにのみ押されました。
パスポートに押して欲しいのになあ。でも中国への入国も、あともう一息!
最後に税関のカウンターを通ります。まだ若い綺麗な女性係官に声をかけられます。
係「申告するものは?」
けいじ「別に何も」
そのあとです。
係「本は持ってる?」
けいじ「本?」
けいじは地球の歩き方(ガイドブック)のチベットをバッグに入れていたので「うん、持ってる」と答えました。
ただのガイドブックだし、そのあと荷物をX線の機械に通すのはわかっていたので
嘘をついたととがめられても嫌なので、普通に正直に答えたのです。
係「出して見せて」
ガイドブックを出して見せると彼女はパラパラと中身をめくって
係「OK、いっていいわ。向こうで荷物を機械に通して」と本を返してくれました。
そのガイドブックをとりあえず手が空いていたゆきが受け取り、
手に持ったまま先へ進んだのが失敗でした。
X線の荷物チェック機?の荷物の出口側にいた、かわいらしい女の子(ニコニコして人懐っこい感じで挨拶してきて、17,8歳に見えた)の係官がそのガイドブックを見せるように言ってきたのです。
ゆきは「さっきもうあの人がチェックしてたよ」とは言ったものの、反抗する理由もないので渡しました。
すると彼女はパラパラと数ページめくったところで手を止め、こう言ったのです。
係「台湾がないですね」
ゆき「えっ、何?」
係「この地図には台湾がないです。」
ゆき「・・・」
係「台湾は中国の一部です。」
ゆき「・・・・・・つまり、ここに台湾が描いてあるべきだってこと??」
彼女の指したページは「地球の歩き方」の中国シリーズの説明/宣伝のページであり、
確かにその中国の地図に台湾は載っていないけれど
本題のチベットとは何の関係もないページだったのです。
ゆきは唖然としました。
彼女はガイドブックを持って5mほど先にいた上司(ガタイのいいおじさん)のところへ歩み寄っていってしまいました。
ゆきも慌ててついていき、2人が本を見ながら中国語でやり取りするのを呆然と見ていました。
(取られたらどうしよう?)
たぶんゆきが死にそうに不安な顔をしていたのでしょう、おじさんの方が「まぁ、よし」みたいな感じで本を返してくれました。
ゆきが足止めを食っていたのを見ていたけいじくんや他のツアー客が「どうしたの?」と聞いてきたので、
事の顛末を話してみんなで驚いていると、後から来たほかのツアー客の中にもガイドブックを取られてしまった人が数名出てきました。
そのガイドブックはかの有名な「ロンリープラネット」!
ロンプラはどうやらダライラマの写真か何かを掲載していたようで、持っているのを見せた人はみな没収されてしまったようです…。
ありえない!
17:30無事入国したものの、どっと疲れてしまいました。
(今後、もしチベットに入るときは本は持ってないと答えましょう。)
そんなツアー客のテンションの下がり具合を反映したように外では雨が降ってきました。
この国境の町ダムは標高2350m、凍てつく雨です。
お昼休憩を挟んだ後、今夜の宿泊地ニャラムへ向かいます。
ここからは20人の客が5台のランドクルーザー(トヨタって書いてあった)に分乗していきます。私達は30代と見受けられるアメリカ人男性イアンと、まだ若そうなイギリス人の男の子マックスと一緒に乗ることになりました。
ニャラムはダムから40kmしか離れていませんが標高は3750mで、切りたった崖をへばりつくように縫って走っている道を進みます。
たまに美しい滝が見られますがふと反対側に目をやると数百メートルもの谷底に川が見えます。
おそろしい!
未舗装や工事中(軍が通ってる?とかで1時間近く通してもらえなかった)のところも多く、
舗装してあっても、岩を無理やりくりぬいたような今にも押しつぶされそうな道や落石(50cmくらい直径あるから岩?)だらけの道でかなりのスリルです。
20:45雨が降り続ける中やっとニャラムへ到着しました。
このニャラムと明日泊まるラツェは小さな町で大した宿泊施設もないので、
他のツアー客とドミトリー(相部屋)です。
私達は背の高い(2m近く)スペイン人男性&小柄な(ゆきより小さい160cmくらい?)アメリカ人女性のカップルと泊まることになりました。
それにしても雨のせいか高度のせいか部屋が寒い!!しかも暖房がない!
室内なのに吐く息は白く大急ぎでユニクロヒートテックの下着とタイツ、セーター、ダウンジャケットを着込みます。
相部屋の2人はそんな重装備は用意してこなかったようで寒そう。
時差チベットは中国の北京時間を使っているので実際の太陽の動きと時計でだいぶ隔たりがあります。
あまりお腹はすいてないなぁ…ということで町をお散歩することにしました。山だ…。寒い…。
通りを歩いているとこんな垂れ幕が下がっていました。
「熱烈疾祝西蔵民主改革五十周年!」
「民主化」なのかなぁ・・・。
通りの端から端まで歩くと町が終わってしまったので夕食を取る事にしました。
ホテルの向かいの中華屋さん。
お店の人たちがまかないを食べていたようでおいしそうだったのです。
水餃子と牛肉麺と白菜炒めを頼んだら白菜を買いに行ってくれました。
(インドではオクラもナスも買いに行ってくれたことはないなと思い出し感動。)手前の牛肉麺、左の白菜の炒め物、奥は水餃子。
全部で65元(970円ぐらい)
暖まる・・・ほくほくです。
アンナプルナでもお世話になった高性能寝袋にくるまって寝ます。
おまけ
チベットでは看板が中国のものも多く、意味がなんとなくわかります。
下は壁に書いてある立小便禁止!やったら罰金50元!
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