牛がたくさん放牧されていて、足元にはニワトリと七面鳥、犬がうろうろしてます。
のどかな田舎なのです。
なんでこんな田舎にわざわざ来たかというと、ジャール平原の石壺遺跡を見に来たのです。
ポーンサワン周辺には大昔から誰が作って、何に使ったかわからない謎の石壺群があるのです。
それは、、、こんな風にあるのです。
Oh!ぴよちゃんだとサイズがわからないと思うので、↓
この大きさの石壺だけでなく、小さいものだと高さ1メートルぐらい。
上の写真のものは高さ3メートルほど、重さは6トン超(!)
おそらく2世紀頃に作られたといわれていますが、いまだに正確には誰が何の目的で作ったか不明です。
なんせ500を越える石壺がこの平原地帯に散らばっているそうです。
↓下の写真で遠くに移っています。
そして、あっちこちに内戦時のアメリカ軍の空爆の跡(クレーター)が残っています。
内戦の時にはアメリカ軍が爆撃をして、それが不発弾として残っているとのことですが、
多分、戦争をした双方が使った爆弾がまだ不発弾になっていると思います。
そして、今もまだ完全に地雷除去ができていないそうで、こんな立て札があります。
目印を設置してあるけど、白の側は除去済み。赤の場所はまだ地雷が埋まっている可能性があるのです。
遺跡見学中は↓の写真のようなマークがあちこちにあります。
こんなに地雷について身近に感じたことはありません。
かなり怖いですね。
地雷について話やテレビで見るのと、直接このマークを見るのとでは全然感触が違います。
この石壺遺跡にはドライバーさんは来るのが初めてだったらしいです。
普通、車で待っている役割なんですが、ちょこちょこ我々についてきて一緒にガイドさんの話を聞いていました。
かなり感動しているようです。
黄色、黒のしましま服がガイドのラーさん。
とても積極的に質問しているドライバーさん。今日はあんまり車を飛ばしません。
自然の力に負けた石壺。アンコールワットと一緒で木に侵食されて、石が割れてしまっています。
石壺遺跡の周りには水田が多く、水牛がもそもそ草を食べていました。
かなりのサイズで近くを通るときちょっと怖いです。
ラーさんやドライバーくんは平気みたいなんですが、けいじとドイツ人夫妻はびびります。
しかし、よくもまあ何かよくわからないただの石壺を見る為に、ラオスの田舎までよく来たなと感慨深い思いです。けいじは京都府出身なのですが、夏の暑いときに観光客がたくさんうろうろしているのを見て「あほやな~」と思っていました。
まさか自分が観光の為にラオスの山奥までくるは。。。
ちなみにお昼ご飯を食べた小屋はここ!
遺跡のチケットショップを兼ねています。
大丈夫かな~~~と本当に心配。
あれで綺麗な民族衣装を作っているのです。
ただの鳥のから揚げと思うなかれ!
カリ&サク&ジューシーの激うまから揚げなのです。ビールにぴったり。
ポーンサワンの街では地雷除去をしているMAGというNGO組織のオフィスがありました。
そこでラオスの地雷除去についてビデオを見て衝撃を受けました。
ラオスでは内戦時に何億という数の爆弾がばら撒かれました。
そして、地雷被害の大半は畑を耕しているときに爆弾に触れて怪我するそうです。
また危なくて農業ができないため、爆弾を鉄くずとして業者に売りさばいているそうです。
その作業は子供がすることが多く、地雷の被害も子供が多いそうです。
この悪循環。。。ラオスの貧困は地雷の影響も多いんでしょうね。
ものすごい衝撃でした。
ただ、正直、自分は日本に生まれてとても恵まれているなと最初に思いました。
この状況を知ってよかったです。
MAGのHP : http://www.maginternational.org/
既に除去した地雷の数が記録されています : http://www.maginternational.org/laopdrbombingdata
久し振り~もうラオスまで来たんだね!!
返信削除思えば遠くへ来たもんだ~っていうメロディーが駆け巡るのどかな光景だね(笑)
気をつけて旅を続けてくださいな~